HISTORY TerraPaxの歴史



テラパックスの始まり

1992年にカリフォルニア州チコにてジェームズ・コックスが創業し、いまだに創業の地でハンドメイドのパックを作り続けています。

テラパックスの創設者、ジェームズ・コックスは1980年代後半に The North Face ( ザ・ノース・フェイス )社のデザイン部門の責任者でした。彼は休日を登山やハイキング、マウンテン・バイクなどで自然を楽しむことで過ごす典型的なアウトドアマンでした。 「私は驚くべきお告げをある日受けたのです。」 と後にコックスは言います。「私はアウトドア好きであり、ネイチャリストだと自称していましたが、石油化学製品をベースにした合成繊維から作られた衣料やギアをアウトドアでは使用していました。また、残念なことに、私はそれらの素材が環境に優しくない方法で製造されている事を知っていました。」 この皮肉のような状況から、より良いギアを追求する旅へ彼は乗り出しました。彼はThe North Face ( ザ・ノース・フェイス )社を去り、当時自転車のバック製造に特化していたOverLand Equipment ( オーバーランド・イクイップメント )社の所有者であるグレッグ・フリッシュ氏とパートナーシップを組みます。 グレッグとジェームズは、ジェームズがThe North Face ( ザ・ノース・フェイス )社在職中に、いくつかのバックパックのプロジェクトで出会っており、互いに現代の織物に対する問題や環境に対しての影響とその課題に関して知識を共有していました。更に、グレッグは、新しいアイデアを生むには完璧な場所である活動的なデザイン・スタジオや、小さなお店をカリフォルニア州、チコという小さな町に所有していました。 ユニバーシティーオブカリフォルニアのバークレー校で言語学の学位を持ち、建具師であり、溶接工であり、バックパッカーであったケン・リード氏がそのころ、彼らのチームに参加することになります。ケンは「新しいバックの会社で世界を救いたい」とジェームズが言うのを聞き、ラテン語で「ピースオンアース」という意味を持つテラパックという名前を提案しました。 ケン達は、平凡な任務ではない、調達と物流とデザインのプロジェクトに駆り出されることになります。




挑戦

ジェームズ、グレッグとケンの3人は1991年の初めに、「自然素材だけで、現代の製品と同じように機能するバックを作ることができるだろうか?」という問いかけの中で、デザインから調達、製造までの全てを解決する為、1年を超える長い冒険の旅を始めます。 テラパックス社が、オーガニック素材の供給元を育成し、「自然をベースとした経済」に影響を与えることができるのか?  これは、素材や製品、製造工程やゴミに関する社会通念に挑戦する大胆な計画でした。 この計画は、持続可能な素材と、ゴミをほぼ出さない方法で自然のプロセス上でビジネスを行おうというものでした。 チームが、自然素材だけを使用するという考えでプロジェクトを取り組むにつれ、様々なコーティングや、メッキ、合成繊維でないものや、石油化学製品から作られていない素材はほぼ何も入手することができないことが明らかになっていきます。 例えば市場に流通するほとんど全ての綿は、合成肥料、農薬、除草剤を通過しないで成長し収穫されることはないことがわかりました。 そのため、綿はどんな農作物と比較しても多くの化学薬品との関わりを持って市場に流通することになります。第二次世界大戦の終わり直後頃から、農業は工業化が進み、大量の油性肥料や、除草剤、農薬が散布されるようになります。 表面的には農業生産量が上がったように見えたものの、実際のエネルギー (インプット) 量あたりのカロリー (食物) 生産量はずっと低下し、土の損失や、農業に携わる人・野生生物の健康・地球・、それらの変化による長期的な生存能力の本当のコストを測ろうとする人は誰もいませんでした。エネルギーは安価となり、トラクターは大きくなり、そして化学業界は素晴らしいマーケットを見つけたのです。 私達テラパックスが理解したのは、それらは短期的な利益であるということです。 同様の事が1930年代後半に織物でも発生しました。1938年にナイロンが発明され、自然繊維はナイロンとポリエステルによって急速に置き換えられていきました。農業と同じように、織物の素晴らしい「進歩」の多くには、隠れたコストがあります。例えばテフロン加工は、ほぼ全ての「アウトドアマーケットへの織物」や非常に有名なゴア・テックスの重要な部分に応用された、素晴らしい防水処理加工技術です。ですが テフロンには、PFOAと呼ばれるペルフルオロオクタン酸という化学薬品が含まれ、「人体における化学的残留性が史上最高に高い」物質と呼ばれています。広範囲の研究によると、PFOAは全てのアメリカ人の血流や、大西洋の北極熊、フロリダ州のイルカにも見つける事ができます。 焦げ付き防止の調理品や、汚れ防止のパジャマや枕カバーなど、その化合物はどこにでもあり、トレッキング用パンツに汚れがつかない利点は、世界のエコシステムへの巨大な代償となるかも知れません。(近年、このPFOAは欧州、アメリカにおいて規制制定がはじまっています。)

テラパックスの答えは、1900年代初期にまだ使用されていた素材や方法まで遡ってみつけることでした。ハンガリーや当時のユーゴスラビアを含む東ヨーロッパや中国の一部は、美しく強い繊維で、かつ育てる為に除草剤や農薬を必要としない麻や亜麻を育て、織っていました。

テラパックスは、そういったシンプルな自然繊維や、蜜ロウでコーティングされた特注の糸、再生された金属から作られたメッキされていない真鍮のパーツを使うことに決めました。素材のシンプルさと、入手可能な素材の選択肢の狭さがテラパックスのバックのデザインを特徴付けました。 ジェームズは語っています。「テフロン加工とホルムアルデヒドによる不燃加工の素材を求める時と場所は確かにあります。しかし、もし火事を消火したり、漁師としてボートで働いているのでなければ、テラパックスのバッグを肩に掛け、もっと優しく地球の上を歩くことができるでしょう」 ジェームズは、このミッションを「産業的エコロジー」と呼びます。自然素材だけで製品を作り、ゴミを出さず、長期的な人と地球の健康を守る事を、素材の選択肢の際に必須の考慮とするのです。再生可能素材が人気を得て来た一方で、テラパックスは、庭で分解されるほど自然な素材を使用することを選びました。リサイクルする必要は無く、ただ地球に返せば良いのです。




ガイドライン

素材を選択する際のテラパックスのガイドライン:

  • その素材は歴史的意義を持っているか?
  • その素材の材料は地球から獲れたままに近いものか?(例 必要最低限の加工が行われているか?)
  • その素材は地球に還元する事が可能で(利用可能な生物的素材を作り)または、再度製造加工する必要なしに引き続き再利用する事ができるか?
  • その素材を加工する事で、発展したコミュニティにおける持続可能なエコロジーや経済を推し進めることができるか?素材の生産に教育的価値があるか?
  • 素材は応用される際の性能基準を満たすか超えているか?
  • その素材は美しいか?



パタゴニア社のイヴォン・シュイナード

ジェームズは、パタゴニアの創業者で未だオーナーでもあるイヴォン・シュイナードに、1990年夏のアイダホでのフライフィッシング・トリップで出会っています。彼らは、農業で使用される (1972年に禁止された) DDTや農薬によって絶滅が危惧されるハヤブサを救う事が目的である、ペレグリン基金の取締役会参加の為、両者ともアイダホにいました。産業化された製造方法が常に自然界に優しい訳ではない事を厳しく証明した例の一つでもあります。アウトドア産業におけるリーダーとしてのシュイナードの評判は良く知られていたので、原型であるテラパックスのバックをシュイナードに見せるのは良いアイデアだろうとジェームズは思いました。ジェームズは、シュイナードがこう言ったのを覚えています。「このアイデアと商品は素晴らしいね。でも、もっと太い糸を使ったほうがいいよ。」 およそ半年後、イヴォンが製品開発の進み具合を確認する為にジェームズに電話してきました。「進み具合はどうだい? 君がやらないなら、僕がやるよ!」

ポール・ニューマン

同社の最初の製品は、ジェームズの友人でもある、俳優のポール・ニューマンの為の個人的な台本用のバックでした。ポールはまた、同社の最初の投資家であり、与信額を保証し、生まれたばかりの同社を軌道に乗せてくれました。ポールはそれらの製品を友人でもある俳優のロバート・レッドフォードに紹介し、その製品は、彼の通信販売事業であるサンダンス・カタログで一番の売り上げを達成しました。最初の小売店は、カリフォルニア州サンタクルズにある、ダウン・ワークスで、した。ダウン・ワークスのニックとシェリーはその店をまだ所有して営業しており、最初のテラパックスの写真が、24年経った今もお店の壁で見る事ができます。 ポール・ニューマンの為にデザインされた「台本用バック」 は、セレブやミュージシャンの間で大人気となりました。 トム・ペティーは、彼のバンドがツアーがある時ごとに、バンドとクルーの為に30個のバッグを注文します。 1995年には、アポロ13号の映画撮影を行っている間、監督のロン・ハワードが撮影クルーへの贈り物として特別にあつらえた刺繍入りのバックを300個注文しました。 テラパックスは、グレートフル・デッドのボブ・ワイアーや、ショーン・コルビンなど、名を連ねると長いリストとなる、ミュージシャンの為のギグ・バックも製作していました。ギブソン・ギターとのライセンス契約を含むミュージシャン専用のギグバックの製品ラインを拡大した、シックスエイト・ミュージック・バッグと呼ばれるサブプロジェクトさえありました。(現在生産は休止しています。)

2001年以降、テラパックス社はOverland Equipment社から徐々に独立し、その後は次第にジョーとマリア・ヨーーレキ夫妻により運営されるようになります。 マリアはOverLand Equipment社に在籍していた頃から最高の成果を出す高級仕立屋のようなソーイングスキルを擁しており製造をコントロール、ジョーは日々の業務を運営し続けています。 24年という年月を経過したテラパックスの言っていたこと、主張の数々は驚くべきものです。同社は時代のずっと先を行っていたのです。製品に対して理解のあるお客様がいる一方で、多くのお客様には、テラパックス社の製品は環境に配慮しているからではなく、大部分が美しいからという理由でバックを購入していただいています。オーガニック食品の機運が指し示すように、消費者は、どれほどエコシステムが小さく、そして消費者としての私達が行なう選択がどれほど重要であるのかを学び続けています。

テラパックス社が使用した素晴らしいマーケティング用スローガンの一つは「最大限に知ることで、必要なものは最小限になる。/The more you know,The less you need」というものでした。これは本当に、このブランドの精神を表しています。シンプルな方が時には良いという事を。これからも、テラパックス社は学び続け、みなさんに最適、最良の選択肢を提供するべく歩み続けていきます。